ゼロ年代の臨界点,圧と熱の均衡点
長らくお待たせいたしました。いえ,お待たせしていないかもしれません。って感じの前振りよくありますよね,,,,お待たせしました。
今回は伴名 練(以下敬称略をお詫びいたします)著 昨年の8/20に発売された「なめらかな世界と、その敵」から短編「ゼロ年代の臨界点」の書評を僭越ながら。前半は読んでいない方にちょっとあらすじにしては長いあらすじを書いて、後半はテク的な話を含んだ細かい話をしていきます。
先に申し上げておきますと、呆れるくらいに多い注釈に慣れた、或いはそれに悦びを感じるようになった方、、落合さん関連で私と知り合った方は大半そうだと思うが--には、この作品はうってつけである。注釈は物語に可能性を参照する直接的なスパイスであると信じている手前、これは念を押したい。注釈は読むべし。
作者プロフィール。(wikipedia)
在学中より第4期京都大学SF研究会に所属。2010年、大学在学中に応募した「遠呪」にて、角川書店主催の第17回日本ホラー小説大賞の短編賞を受賞。同年10月、受賞作に改題・改稿を施した「少女禁区」に、書下ろしの近未来SF中編「Chocolate blood, biscuit hearts.」を併録した『少女禁区』(角川ホラー文庫) で作家デビューした。
伴名練の本を読んだのは今まで一度きり、伊藤計劃トリビュートに編纂された「フランケンシュタイン三原則、あるいは屍者の簒奪」であるが、その一度きりが鮮明に残る体験となり、以来ファンである。国会図書館で不敵に笑いながら「かみ☆ふぁみ!」なんてタイトルのハードSFを読んでいた、といえば界隈の方は笑ってくれるだろうか。
ここで、この書評はただのSF好きの端くれである身共が本好きや私の周辺の皆々様によさを語る大衆向け且つ低解像の書評であり、解釈や考察に至らぬ点や齟齬を来すかもしれない点、免責を願いたい。ただ、現代日本SFが緻密に作られた文学作品であるかを伝えたいという一心は変わらずですのでよろしくお願いいたします。では。
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「ゼロ年代の臨界点」は、タイトルどおりゼロ年代、この作品では「あり得たかもしれないもう一つのゼロ年代」=1900年代初頭の日本を舞台にした「歴史改変SF」である。
物語は日本SF史に纏わるリポートのような語り口で描かれる。
1902年、ある女学校で起こる文芸運動は、日本SF、とりわけタイムトラベルSF隆盛の立役者である3人の女学生、中在家富江、宮前フジ、小平おとらが作るSFゼロ年代の起点であった。彼女らの作品が世間に晒されるたび、世間からは毀誉褒貶に晒され、そしてこの作品ではそれが海外文学との関係性の中で分析の的となり物語は進んでいく。
女学校でも生徒の中心であり、文芸運動の中核を成す中在家富江は、日本で最初のSF「翠橋相対死事(すいばしあいたいじにのこと)」を女学生向け文学誌「女学同朋」に投稿し、世間から大きな評価を得る。「翠橋相対死事」は社会現象にもなり、作品ラッシュを生む。日本SFを女性作家が牽引する所以となった作品として一般に認められる。
そんな中、宮前フジから「女学同朋」に向け、実名で「昔日に渡ルコト」=過去へのタイムトラベルを題材にした作品を富江が執筆中との投書が送られてくる。しかし、実際にそれを執筆したのは富江ではなくおとら。
おとらの作品「九郎判官御一新始末」は、「過去へのタイムトラベル」を書いた初の作品として出版され一定の知名度を得るものの、富江のそれとは一線を画した。それもそのはず、富江は紡績企業社長の御令嬢であり、対しておとらは和菓子屋の娘、権力への人脈はそう望めなかった。
それに加え、おとらの作品には出版と同時期に否定的な者があった。
宮前フジは、おとらへの「諫言」を「女学同朋」へ投稿。時間の流れを大河のそれに例えて「上流より出て湾曲蛇行し大河と成る,叱るが故に湧水の向かう先変われば河滅す」と、世界で初めて「タイムパラドックス」に言及し、偉大なる評価者としての地位を得る。この時点で、時間SFの創始者富江、その可能性を反転的に発展させたおとら、そして評価者としてのフジの3人の立ち位置が明確と成る。
ここから彼女らの創作は更に加速し、時には社会現象化したが故の損失も被りながら、過去作を裏切らぬ評価を受け続けてゼロ年代後半へと進む。
彼女らの卒業から1年後の1905年、母校開明女学校は日露戦争に乗じて海運投機をしていた母校の理事長が、投機失敗を理由に学校の売却を宣言。富江の父であり紡績企業の社長である中在家鴻然はこれを買収し、「明治女子学校」を開設し、そこに3人を文学・語学講師として招聘して開校する。
第一期卒業生から華々しい面々を卒業させるこの女学校は、内情があまり語るものがおらず、その存在を訝しむものもいたようだが、至って健全な教育を行っていたことが密偵調査により証言されている。3人の女学校時代と寸分違わぬ形式で頻繁に読書会が行われていたようで、その効果は卒業生に10年代を代表するSF作家たちが多数いることからも顕著である。
1908年の頭、事態は富江の米国留学によって急転する。一度落ち着きを取り戻していた翠橋によるタイムトラベルは、フジによる処女作によってまたその口火を切り、女学生たちがそれを追う形で1908年後半まで継続した。
1908年10月、この役満聴牌状態の世間に、米国留学中の富江が最大の作品を擲つ。…
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後半部分は残しておきましょう。読んでほしいので…。
この作品の初出は「夏コミ」でのSF研究会のアンソロジーである。当時から一定の評価を受けてはいたものの、2011年に創元SFで大森先生編纂のアンソロジーに収録された。
難易度的には☆なのに対して、その文体と入れ子状の構成が個人的に☆☆☆であるこの作品は、定期的に読みたくなるテーマである。
この作品が客観的に評価に値する理由は個人的に2つある。
まず、誰でもわかりやすいように、3人の「時間的に平等な位置に存在している」キャラクターを導入して、目に見えて違う価値観をハイライトすることで、キャラクターのロールを深読みすることなく物語を進めている。レポート調の語り口も読みやすさに一役買っている。「経験なくして知見なし、行動なくして経験無し」を信じる身共としては、フジの立ち位置には否応にも過敏に反応せざるを得なかった。そういった点、フォーカスを各々当てやすく書かれているのは素晴らしい。
この駄文を書くのにもそれなりに他の方の書評を拝見していたが、その中の一つにこう書かれている;
冒頭、架空のSF作家3名の性格の違いを示す逸話は、まず第一に読者にキャラを即理解させるテクニックとして機能している。しかし私はふと、石川喬司による日本SF界のたとえを思い出した。星新一や矢野徹が惑星へのルートを開拓し、筒井が口笛を吹きながらスポーツカーで乗りこんでくるあれだ。キャラクタや作家として成したことをパッと提示している点で通じるところがないだろうか。
つまり「ゼロ年代の臨界点」は漫画界でいえば、トキワ荘や『燃えよペン』的な盛り上がりをSF小説でやっている。しかし実在作家をモデルにせず、まったく架空の「同じとき同じ場所で、多彩な複数人が競うように書き、ジャンルが盛り上がる」話にすることで、内輪受けにならずに普遍的に書いている。
僕も、書店員になってすぐにこのたとえ話をSF好きの上司から教えてもらった。これくらい、作家の功績を副詞的に表現できれば、僕も石川喬司さんみたいになれるのだろうか。
二点目に、この作品が小説内小説、メタフィクションの奥深さに頓悟するきっかけとして非常に良くできた作品という点である。
この作品には数多の小説内小説が存在するが、その中にはおそらく実在の作品のオマージュであるものも多数存在するし、そうでないものも非常に興味を唆られる解説がついている。*1
(私の勉強不足で、すべてオマージュ、ないし反対もあるかもしれない)
かんたんにこの物語を纏めれば、この作品は時間旅行、とりわけ時間逆行の話で、富江とおとらは逆行していて、フジは順行していた。フジが過去への時間旅行に批判的だったのは筋が通っており、われわれ現代人と同じ見解であろう。対しておとらが作中で、「過去への時間旅行は、新たなエンドポイントであり、未来に矛盾を生み出すものではない」旨の発言を残しているのは、おそらくおとらが経験者として得た+フジがどうあがいても得られない知見故の齟齬であり、最後の作品「藤原家秘帖」はそれを我々に悟らせるためのキーであり、注釈にある「フジの死」は、SFを書くことで時間を順行し、消えた2人を見つけようとした試みの頓挫を立証している、という仕組みなのだと私は考察する。この仕組みはじっくりと読めば感知しやすい構造で、SF深読みテクの初級編みたいな立ち位置として誰にでも愛されて、博識な方々には作品のユーモラス故に息抜きにぴったしであろう作品なのではと思う。
さて、まあこんなところでしょうか。三体でさえあんなに適当だったのに結構時間かかってしまいました。ちゃんと書評フレームワーク作り直さないとね。
もしこの本を読んだらば、ぜひ私に教えて下さい。一緒に語ろうとかではなく、単純に自分の書評が自分の好きな作品を読んでもらうきっかけになれたら嬉しいのです。
善意と善行とよいこと
(※タイトルを意味ありげにして,その解説を最初にするというスタイルが昔から好きだった。よくこの気取ったスタイルで賞に入ったりして浮かれていたものなので,ここはこれを堅持していこうかなという所存。)
空海(弘法大師)の性霊集(だったはず)には陰徳と陽徳という概念があって,前者は人に見られない徳,後者は見られて多くに知られる徳という意味があった。徳=善行なのだけど,徳は”見返りを求めないよい行い”を意味する。善意は,「相手の心情や環境の変化を求めて(良かれと思って)行いをする」こと。”よいこと”は人に言われたからそうであるみたいな,いわば枕詞になっているクソワードとして書いた。何がよくて何が悪いかは自分で常々考えたいもの。
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僕は最近自分はコミュニケーションは得意でない割に人にお節介を焼くほうだなと思うのだけど,正直に言って損な性格だなと思うことは多い。魚の取り方も教えて取った魚もやった上に釣り具まで寄越して,自分が得るものはそう長くも続かない縁の延長券と肩透かしな「すごいね」である。*1
でも別に,実際人が困ってるときに「う~ん,でも助けたところで百害あって一利なし,予定も狂うしなぁ」なんて考えるほど人の心を忘れたわけでもない。
じゃあ何のために僕はそういう行動規範をナアナアに守っているかといえばおそらく自己満足なのだと思う。あなたには何も求めてないですよ,自分がしたいからそうしただけなので,もうとやかく言わないでください,というどこか絶望的というか薄遇的な善意というのが僕の根底にあるかと思う。「助けない」という選択をするかもしれない自分への後悔と恥を捨てるために善行をする。非常に自己中心的に聞こえて,いわゆる”偽善”にも思われなくないだろうが,個人的にはこれが正しい動機なのでは,と思う。名を捨てて実を取るとはいうが,名を得て実も求めるなんてのはおこがましいというのが持論である。
”善きサマリア人の法”というものがある。日本のほうには明文化されていないが,コモンローなど諸外国では基本的にちゃんと成立している。
善きサマリア人の法(よきサマリアびとのほう、英:Good Samaritan laws、良きサマリア人法、よきサマリア人法とも)は、「災難に遭ったり急病になったりした人など(窮地の人)を救うために無償で善意の行動をとった場合、良識的かつ誠実にその人ができることをしたのなら、たとえ失敗してもその結果につき責任を問われない」という趣旨の法である。
多分,僕と同じくらいの歳の人たちはこんな話を一度はされたと思う。
「中国じゃ,車に轢かれた人を見ても誰も助けない。自分が加害者扱いされるかもしれないから」
聖書の話をそのまま教えてあげればいいのに,なんでわざわざ中国人に擦り付けたんじゃい。とは思うがまあ仕方ない。中国も,サマリア人の法が明文化されていない。
自分の善行が,かえってより悪い結果を生むこともある。恋愛相談なんて特にそうだろう。狙っていなくてもなんだか険悪な雰囲気を自分の助言や手助けが作り出してしまうというのは少なくない。人間は矢張り脆いので,どこか自分以外に原因を求めるし,自分に近い位置にその原因があれば否応にも対応は変わるものである。サマリア人のほうはそういう,近いインターネットのことはさすがにカバーできない。たまたま事故を目撃して人命救助に励んだ見知らぬサラリーマンの権利は保証しても,「私のこと嫌いでしょって聞いてみろ,すぐにわかるよ」って助言した槇島君のことは保護してくれない。(結局その子からはもう3年連絡が来ていない。)そんな恨み節から善人を守ってくれる国もあれば,逆に追及する国もある。*2*3
こういう歴史的な事実を改めて考えてみると,見返りも求めず,その人のことを本心で助けたいと思い,評価懸念を超克し,できる限りの物的質的なリソースを割いてあげる人々=善人は本当に一握りで,聖人なんだろうなと思う。なれるとは思っていないしなる気もないが,結果的に救われる人が増える生き方をしたいなと思った次第。